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まっつのブログって名前、氾濫しすぎだろ!

いまだ「男の子」を抜け出せない大学生のブログ。

お前が殴っているのはサンドバッグじゃなくてなぐられうさぎだぞ、って話

 

「人を『人』として見る」ということを意識して、行動に反映させるのって難しいなぁ、どうしたらいいんだろうなぁ、ということを考えた数日間でした。

 

 

考えるきっかけになったのは、先日の安保法案採決時の文字通りの『アクション』であったり、あるはてなブログの記事とそれに対する反論であったり。その他、鶉まどかさんのインタビュー記事も思索の手助けになりました。
これらの行動や発言に目を通すことで、「人を『人』としてではなく『主体/客体』として見ちゃってるのってどうなの?んで、そのマインドのまま行動しちゃうのはもっとどうなの?」という問題意識が立ち上がってきたんですね。これは僕個人に関わる問題であると同時に、社会において発生するトラブル全体に関わる問題とも言い換えられるんじゃないかなぁ、と思いました。
そんなわけで、これから自分の中にある上記の問題意識を問い直したあと、「人を『客体』として見る視線」に端を発する行為によって発生するトラブルの例をいくつか挙げたのちに、「人を「人間」として見て、行動に移すには」という問いに対する意見を述べ、それを結びとしようかなと思います。ちょっと長いよ!
 
 

「俺は『主体』で、あんたは『客体』」という見方

 
ここで今一度、僕の問題意識を問い直します。論点としたいのは、他者への「人を「人」として見る視線」の欠如についてであり、その代わりに登場した「私は『主体』で、彼/彼女は『客体』である」という視線の跋扈、およびその視線に端を発する行動の有害性についてです。
ここで、「主体」「客体」双方の意味を確認しますね。
 
主体(しゅ-たい)〔名〕
❶性質・状態・作用などの主として、それを担うもの。特に、認識と行動の担い手として意志をもって行動し、その動作の影響を他に及ぼすもの。⇔客体
❷物事を構成する際に中心となるもの。
客体(きゃく-たい)〔名〕
❶主体の意志・認識・行為などの対象となるもの。
❷主体の意志・認識・行為などとは関係なく外界に存在するもの。⇔主体 (『明鏡国語辞典 第二版』より)
 
 
「主体」の意味に関して補足することはないのですが、「客体」に関して強調したいのは❷の「主体の意志・認識・行為などとは『関係なく』」というところ。これって、相手を自分とは『関係のないもの』として見る、ということですよね。
要は「わーい、みんな僕のサンドバッグだー!ボスッボスッ(打撃音)」ってな具合に誰でも彼でも「ぼくに都合のいい『もの』」として人を「消費」する傾向にある人が増えている、って事でもあり、僕はその話題を主軸にしたいんです。人を人間扱いしないやつが増えたよね〜、というふうに言い換えてもいいでしょう。
 
『対話する相手が「人間」である』という視線が欠落し、代わりに『対話する相手は、自分の思考・行動を無条件で受け入れる「客体」である』という視線の跋扈は、主にインターネットによってテキストデータが氾濫し、顔を知らずして真意を知った気になる機会が増えて以降、増加したもののように思います。
だけど、その視線自体は咎められるべきではないとも思います。後述もしますが、相手を人間扱いしてばかりだとやってられない場面なんて多々ありますし。「こいつはジャガイモだと思っておこう」と考えるぶんにはまだいいんですよ、考えるぶんには。
むしろここで問題としたいのは、この「俺は『主体』であんたは『客体』」という見方に端を発する"行動"には有害性が存在しうるし、それが実在空間のコミュニケーションにおいて蔓延しているということです。ジャガイモだと思ってたやつを実際にジャガイモ扱いしちゃうやつ多くね?って話です。
 
例を挙げるなら、安保法案採決時のザッツクラウドサーフな取っ組み合いの場面に、僕は「実在空間でのコミュニケーションにおける、『客体』として見る視線」を感じました。暴力だとか、実力行使に訴えるときはすべからくああなるのが人間ってモンなんでしょうが、人が心身共に『一人』であると感じたとき(『剥き出しの個人』になったとき、と言い換えてもよし)、「人間」と相対する感覚が(完全にではないにせよ)消失するんですよね。これはSNS上のクソリプにも見受けられますが、実生活上においても「わーい、みんな僕のサンドバッグ!殴っていいよね?答えは聞いてない!*2」ってな具合に様々な人に攻撃してまわる場面を見ることが増えたように思います。
いや、お前の殴ってるそいつはサンドバッグじゃないから、なぐられうさぎだから。やるなら報復覚悟で行けな。そいつ、意志あるからな。
 
 
なぐられうさぎ、ご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
アニメ『クレヨンしんちゃん』にて、主人公・野原しんのすけの友達であるねねちゃんが持っているうさぎのぬいぐるみの事を「なぐられうさぎ」と呼びます。ねねちゃんはイライラすることがあるとなぐられうさぎにボディーブローを何発も決め、それが普段の放送では一つのギャグとして描かれるのですが、今までに何度か、そのなぐられうさぎが意志を持ってねねちゃんに報復をする回がありました。
この例のねねちゃんよろしく、手当たり次第に誰かとっ捕まえてはボディーブローをかます人間はTwitter世界においてよーーーく見受けられるように感じます。『お前が殴ってるそいつがそのままやられっぱなしでいる保証はどこにもない』ってことくらいは覚えておこうな、そいつは人間だからな。
 
さて、この「俺は『主体』であんたは『客体』」という視線は、先に挙げた安保法案採決時の例のように『あからさまな悪意』として噴出し相手を傷つける場合もあれば、『見せかけの善意』として噴出する場合もあったりします。今までに挙げたのは前者の事例で、これから述べるのは後者の事例。んで、こちらの視線の方がみんなより日常的に、かつ何もないような顔をして使っているものだと思います。みんなしれっとやるコトやっちゃって!もう、いやんなっちゃう♡
 
 
 

「見せかけの善意」=「相手の感情に責任を持たない」

 

 
 
画像は漫画『モテキ』第4巻、P.173より。主人公の幸世(男の方ね)が、長年の想い人である夏樹ちゃん(女の子の方ね)に「本当の夏樹ちゃんとちゃんと向き合いたい」と言ったあとのワンシーン。
幸世、お前は本当に性格のいい人と仲良くなったと思うよ。夏樹ちゃんはきっとお前のこと好きだったと思うよ。お前のことをなんとも思ってなかったら、夏樹ちゃんは最後までお前の態度に1ミリの興味も示さず、自分の行動にもお前の未来にも責任を取らず、それでいてその事を最後まで明かさずに『優しい』態度と言葉を崩さないまま首絞めてくるからな。お前は幸せ者だよ。
 
 
「人を『客体』として見る」視線の発露として、むしろこちらの方が日常的にみんな使ってるものでは?と思うのが、『見せかけの善意』としての発露です。ここで言う『見せかけの善意』とは、『口当たりのいい言葉/行動ではあるが、後々相手にダメージを与えかねない心情の発露』という意味として用います。
この『見せかけの善意』が招いた結果が克明に描かれている自分語りエントリーがあったのですが、現在非公開になってしまったようなので、ここではそのエントリーに対する批判を述べた、くたびれはてこさんの記事のみリンクを貼ります。これだけ読んでも大元のエントリーの内容はだいたい理解できるかと。
 
 
ひとまず、大元のエントリーの内容を要約します。形式としては自分語りで、その内容は以下。
 
自らの性的嗜好や過去に女性に対して取った行動を、バイトで知り合ったそこまで仲良くもない女性に泣きながら話すと、その人も過去に性的なトラブルがあったことがわかった。
 
という感じです。ここで問題にしたいのも先ほどと同じ、『相手を客体として見る』視線に端を発する行為です。
しかし、先ほどの安保法案採決時の例と異なり、大元のエントリーの彼は過去に接した女性に対して(エントリーから得られる情報だけに限定して言うなら)直接的な暴言や暴力行動を取っているわけではありません。
ただ、くたびれはてこさんの記事にもある通り、大元のエントリーの書き手は高校生時代、別れた彼女が別の男性と付き合い始めたのを知り、長文のメールを送っています。内容としてそこまで責め立てる口調ではないにせよ、『未練タラタラでした』ということが本人のエントリーにも書いてありました。その結果かどうかは定かではありませんが、メールを受け取った元カノはその後拒食症になっています。また、その後彼はその元カノにお菓子を持っていき症状の回復を助けたからか、元カノに復縁を申し出られますがこれを拒絶しています。
(大元のエントリーを読む限り)強い口調で脅したり罵ったりすることはなく、表面上は優しさすら感じられる振る舞いを見せる彼ですが、これらの行動から考えられる態度はすべからく『相手を客体として見る』視線以外の何物でもないように思います。彼は出会った女性それぞれを、自分に都合のいい幻想を投影する『客体』として捉えており、その視線はこの話の最後まで変わることはありません。
最終的に、彼は過去の行為や性的嗜好をバイトで知り合った女性に打ち明けるのですが、それもまた相手の女性を『自分を受け入れてくれる客体』として見た結果の行為ではないかと。無自覚であったにせよ、ね。
大元のエントリーに書かれていた彼の行動に共通しているのは、『相手を客体として見ており、自分の行動にも相手の未来にも責任を持たない』視線です。彼は中学時代に、付き合っていた彼女の体操着と下着を盗んでもいます。こういった窃盗行為もまた、今挙げた視線に端を発する行為の一つでしょう。
 
しかしこの視線は、誰もが持ち得る態度の一つだとも思います。実を言うと、僕も大元のエントリーの彼と同じような事してます。だから大元のエントリーの彼の行動も、許されることではないにせよ、そこに至る動機は理解できるものが多々あります。そして、言いづらかったであろうことを書き留めた勇気に関しては、僕は敬意を表します。ただ、盗みは完全に犯罪だからな、それは覚えとけな。
僕も、相手を拒食症にさせるほどではないにせよ、高校生の時に『君は僕の気持ちの受け皿だ!』てな具合に、気になってた人にメール送りまくったことがあります。ただ僕に関して言えば、その後きっちり報復を食らいました。
 
 
ここまで極端な例でなくても、それこそ先ほど挙げた夏樹ちゃんのような人、現実に一定数いません?首尾を一貫させない、端から見れば軽薄極まりない感じの人や、悪意なく(≒少なくとも悪意がないように見える)真意を述べて笑顔のまま人の心を殺しにかかる人ってけっこういる気がする。
あと、その都度で言ってることが違ってる上司とか、皆さんの身の周りにいませんか?しかも、人様をぞんざいに扱っておきながら、悪気なさそうにしれーーっとしてたりする。そういう人も、先ほどの視線を行為として発露させちゃってるんです。十中八九常習犯ですよ。
じゃあ、「人を人として見」て、その視線を行動に移すにはどうすりゃいいの?っていう話は最後に。
 
 
さて、ここで余談なんですが、『相手を客体として見る』視線はもちろんあり、なおかつ他者とのコミュニケーションにおいて自分を『相手が求める理想の客体』に擬態させることができる人が一定数います。で、そういう人はすべからくモテる。例えばこれ。
 
 
 
上に挙げたのは、元・サークルクラッシャーのブロガー、鶉まどかさんの新書発売記念のインタビュー記事です。ブログに書き溜めていた自身のサークルクラッシュ経験をまとめ、加筆修正した本とのこと(早く買わねば!)
このインタビューや、先ほどのくたびれはてこさんの別の記事を見て、モテる人の立ち居振る舞いが掴めた気がします。
サークルクラッシュを行う際に鶉さんが編み出した攻略法は主に三つ。
 
【1】自分から二人っきりで会うきっかけを作る
【2】相手の理想通りの振る舞いをする
【3】恋愛感情がないとは伝えない
 
ここで一番重要なのは【2】だと思います。というか、【1】と【3】も【2】と同義ではないかと。だってこれら3つは全て『相手が求める理想の客体』に『擬態』する行為、という意味で共通しているから。
相手の様子を伺い、早い段階で相手の好きな色のキャンバスを用意し、あとはその色を自分からは変えず、そのキャンバスに絵の具なり飾りなりを相手に重ねさせる。そして、相手が重ねた色や飾りにも、自分が最初に掲げたキャンバスにも一切責任を持たない。これが、『相手が求める理想の客体』に『擬態』するということだと思います。
鶉さんは人を『「好き」の供給源という客体』として見ており、それゆえに、サークルをクラッシュしている最中もその後も、相手の未来や行動といった『相手そのもの・人間性』に責任も関心も持っていなかったのだと思います。
そして、こういう人は恐ろしくモテる。また、『モテているのは『擬態』している私である』という事もわかっている。だからこそ自分から『擬態』している面以外は絶対に見せない。相手の理想を崩さないために。そして、相手が自分に対して見せている顔も信用していない。いやあ、最高だなおい!みんな、誰も信じずに相手に合わせればモテるらしいぞ!……余談めっちゃくちゃ長いですね、そろそろ結びに移りましょう。
 
 
 

『できるけど、やらない』という防波堤

 
今まで見てもらった例からもわかるように、この「人を『客体』として見る視線」は、対人間におけるあらゆるトラブルの根幹を成す要素となっています。
しかし、その視線自体を断罪すべきかと言えば、それも違います。そんなんしたら、きっと誰も生きていけなくなっちゃいますよね。嫌味な上司の言うことを何とか飲み込む時に『あいつはジャガイモだから』と歯をくいしばる、その刹那のなんと気高いことか。それにきっと、この視線から完全に逃れることは誰もできないですよ。……いや、うん、確信はないです。
なので結論を言うと、「人を「人間」として見て、行動に移すには」についての最適解はいまだ見つけられていません。自分で問いを立てておいてなんだよって話ですが。
でも、それならば、それならばこそ、こういう考え方をすることは可能では?とも思うんです。
 

 

だいたいの人には、殺してやりたいと思う人の一人や二人くらい、必ずいると思います。なんなら脳内で嫌いな奴をメッタ刺しにしたことがある人だっているでしょう。これも、今まで見てきたケースのご多分に漏れず「人を『客体』として見る」視線の例であることはわかると思います。そして、この視線自体を食い止めることはできないでしょう。

 


うみのて - WORDS KILL PEOPLE (COTODAMA THE ...

 

うん、「頭の中で 人を殺」すことなんて、「誰でもやってる」ことですよ。

だけど、相手が人間であればこそ、いや、少なくとも、相手が人間に『見える』からこそ、行動には移さない。いつでも殺れるけど、殺らない。

 

この「できるけど、やらない」という態度は、対人間のコミュニケーションにおいて相手方の『人間らしさ』を担保していると言えないでしょうか。対人関係でのトラブルにおいて、過激な手段を取ろうとする時に踏み止まる。振り上げた拳を下ろすその理由はまさに、いがみあっているその相手が『人間に見える』からではないでしょうか。この「できるけど、やらない」という態度が、「人を『客体』として見る」視線に端を発する行為にブレーキをかける防波堤になると、私は考えます。最適解ではないにせよ、今挙げたこの態度こそが、人と人とを緩やかかつ襞なく結ぶ最良解であると、私は考えます。と言うか、そうであって欲しい。

以上を持ちまして、この文章の本編を終えます。読んでくださった方、ありがとうございました。

 

 

いやー、疲れました。

僕が今回取り上げたテーマは方々で語られつくしているのかもしれないですが、それでもなんとか自分の言葉にしておきたかった。学があるわけではないので読み苦しい場面も多々あったかと思います。でも、書ききれてよかった。達成感!

 

でもアレですよね、世の中にはこんなんより遥かに独自性あるテーマでボリュームのある文章を量産してる人もいるわけですよね。毎日5000字以上書く人とか、いつ書き溜めてるのか……凄いなぁ、おいらにはできない。少なくとも、現段階では無理です。

 

これからブログの更新頻度をちょろっと上げたいとは思うんですが、予定は未定です。音楽も仮面ライダーも女の子もそうだけど、話したいことだけならたくさんあるよ。もしこれからもこのブログへの興味が続くようでしたら是非とも「早めの更新を期待して」て下さいね。

*1:ここに登場してもらうのは初めてだけどな。

*2:リュウタロスって今思うと『歩くクソリプマン』だったよね。

*3:冒頭の1枚目とこの2枚目、出典は http://blog.livedoor.jp/shibakan/archives/51821136.html です。

*4:この1ページを撮るためだけに『モテキ』全巻買い戻した。